さて、結論から言おう。2024年3月22日の番組を見た方には分かっただろう。2023年の暮れ、2024年新春と比べて明らかに原点回帰をしている。今田氏、東野氏が戻ってきたなかで、芸人の話が多くなり、「お笑い番組」へと舵を切っている。いわば芸人が番組を取り返したとも言える。これは並木氏が既に監修という立場でしか関われなくなっているためであると言える。
だが、深夜番組で若手芸人が持っていた勢いというものはもう既に無い。千原ジュニアのアップが何度か現れたが、笑い顔ではなく、何か苦虫を噛み潰したような顔をしていたと思われる。今田氏、東野氏は頑張っていたと思うが、番組全体でMCを中心に面白がってやっているようには見えなかった。
芸人が語る都市伝説が短く、勢いに振り切った感じがした。今の若い人たちにとってはXといったSNSでは数秒で読めるものに対して、関暁夫氏が語るパートは長くて同じようなことの繰り返しに感じるだろう。関暁夫氏は何かとTVerで過去回の視聴を呼びかけている。確かに彼の本であったり、過去回を見返すとまた見方が変わるのかもしれないが、今更、そういう新規層を獲得するのは難しい。彼のYoutubeサイトに未だに群がる廚は新たな情報が燃料になるのだろうが、今回の番組を見た人のなかで、夏、秋、年末に関暁夫が語るのを楽しみにする人は新しく生み出すことは出来ないだろう。彼は今の時勢に少しの世迷い言を付け加えて都市伝説と言ってきた。だからこそ過去の放送や過去に発売された本を今更見ても、まさしく「外れてるじゃん」としか感じられないと思う。
要するに、熱中的な廚の関心がすり減っていくのを使い捨てていく商売しか出来ない。
合わせて今田氏、東野氏などもお世話になったプロデューサーなどの顔を立てるためにもう一度出演した面もあるのだろうが、「はいはい、言われた通りにやりましたよ。番組的にはどうだったんですか。」という立ち位置だろう。
何しろ、既に番組が真っ二つにわれていたのは分かるだろう。「かつてのやりすぎ都市伝説」と「関暁夫氏と並木氏の私物化した世迷い言」と分かれてしまっていて、とても同じ番組とは思えない。
さて、もう既に壊れてしまっている番組だ。頑張っていたのはあばれる君だろう。彼のVはスタジオで流れていて出演者はコメントを言っていた。それに対して関暁夫氏のVはスタジオでは流れていない。出演者が今日の放送をわざわざ見ないだろう。つまり出演者が全く触れることがない「関暁夫氏の世迷い言」でしかないのだ。それはもう既に滑稽としか言いようがない。関暁夫氏が熱く語れば語るほど、他の出演者とは関係ないことを思い出し、哀れに思う。
ただ、関暁夫氏と並木氏がそういう風に自分達のパートを「私物化」してきた結果だ。「私物化」したからこそ他の出演者とは無縁なものになったのだ。
Youtubeではここまでしか言えない、テレビではここまでしか言えない。なら、本でも書けばいい。そのネタ明かしが有料イベントや有料配信というのは、宗教で「入信すれば真理に触れられる」と言っているのと同じ。スマホでゲームに熱くなる人もいる。度重なる課金。何故、続けるのか。それは今、止めたら今までやってきたことが無駄になりそうだから。「なりそう」と言ったのは止めた時のことを想像しにくいから。むしろゲームなどはあえて射幸心を煽るようになっている。では宗教やゲームを止められた人、パチンコなどを止められた人はどうだったたろうか。簡単だ。ついていけなくなったから。もうさらなる課金が出来なくなった。要求される課金の回数の頻度が多いから。そして課金してもすぐに新しい装備が必要になるから。宗教も同じだ。いつまで経っても真理が見えてこない。それは関暁夫氏の有料イベントも同じだろう。2024年4月4日のイベントに参加しようが、やりすぎ夏、秋でまた違うことを言い出す。それではついていけない。そんなに5年後のことを語っているのなら以前に出版した本が評判になるだろう。呼びかけなくてもTVerで過去回の評判が上がるだろう。そんな風潮もない。「意識が高い人には分かるから」そうやって射幸心を煽っても大したことには触れられない。じゃあ、年末の赤レンガ倉庫ライブは何だったのか。それこそ金持ちの道楽に過ぎない。そういう煽り情報はあまりにも宗教に似通っている。
一度、関暁夫氏から離れればいい。それで久しぶりに関氏の過去のYoutube動画、やりすぎの過去回でも見れば良い。大したことは言ってないから。目を覚ますきっかけにもなるたろう。芸人崩れが、そこまで世界の真実に近づくことなんて無いから。
それでもまだ関暁夫氏について熱く語るYoutuberがいる。
例として以下のYoutubeチャンネルを紹介して話を終わりにしよう。
【しっとく! 明日のためになる話題】
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