Nov 11. 2024
うっす
15年程前にお客様の対応に苦しんでうつ病を発症してしまいました。
毎日、会社に行くのが辛かったです。
救いだったのは嫁さんの存在。そしてある猫の存在でした。
近所の工場の周辺に住み着いていたその猫と遊ぶために、会社から帰って夕食を済ませた後、毎晩、その工場に行ってました。だんだんと慣れてきてそこに行くとどこからか走り寄ってきました。
帰ろうとすると後を追いかけてくるので、遠回りしながらその猫の追跡を逃れてマンションに帰っていたのですが、ある時、つい出来心でマンションの自宅に入れてしまいました。なんだか幸せそうに眠る姿。でも翌日にはまた外に逃がしました。
そしてその夜に会社から帰ってくると中学生の女の子二人が私の部屋の前で「どうしよう…」と言っています。何事かと思いながら部屋のドアを開けると彼女たちの視線の先からその猫が部屋のなかに走りこんできました。
もうすでに「うっす」と名付けていたその猫はその日から我が家の住人になりました。
寝ている写真ばかりですね。何しろ、お布団が大好きで。「いないな?」と思うとお布団のなかに入り込んでいました。もっと可愛い写真を撮ればよかったのですが、猫をあやしている時にわざわざスマホで追いかける飼い主の人も少ないのでは?
顔にぶちが入っているように見えてるけど全体的には薄ぼんやりとした模様だったので、私が「うっす」と名付けました。うっちゃんと呼ぶことも多かった。
こんな日が永遠に続くと思っていました。
「うっちゃんは猫又に化けて永遠にこの家にいるんだよ。」
うっすの体に顔を押し当てて猫吸いをしながらいつもそう言っていました。
家に来て、ブラシをしたら蚤の糞が大量に取れて。何度もブラシをして、その度に取れる蚤の量に驚かされ。駆除の薬を舐めないように頭のてっぺんにちょこっとだけ垂らして。もっと早くうちに来れば痒い思いもしなかったのにね。
女の子は気性が荒いとも言われていて嫁さんは何度もワシっと前足で腕を掴まれて、かなり強く噛まれることもありました。なにか琴線に触れたのでしょうね。でもそんなことは本当に稀でおとなしい子でしたよ。ちょっと尻尾が短くて曲がってる。西洋では曲がり尻尾の猫は幸せを呼ぶと言われてるそうです。まさに幸せを呼んでくれました。
台所に置いてある椅子の下はうっちゃんの所定の場。いつもここでちゅ~るをあげました。ちゅ~らが大好きでしたね。手のひらに広げるとそこから舐めてくれました。
それまで嫁さんと二人暮らしの中で冬にはスキーに行っていたのですが、私はうっすが来てから泊りの旅行は一切しなくなりました。嫁さんが実家に帰るときも私とうっすはお留守番です。
そんな日が10年以上も続きました。
ある時、うっすが食欲を無くして餌を残すように。嫁さんが近くの獣医さんのところに行きました。
会社から帰ってきて嫁さんに話を聞いてみるとすごい暗い顔を教えてくれました。
癌でした。もう治ることはない。これから癌の進行が進むばかり。
その言葉に現実を受け止められなかった私は1年先?と甘い考えを持ちました。
その頃、仕事を辞めていた嫁さんはそれから毎日、獣医さんに行きました。
抗がん剤を注射してもらうためです。月に数万円はかかっていましたが、そんなことは気にしませんでした。そして呼吸が辛そうだったので、酸素室を借りました。
買うとなるととても高かったのですが、レンタルがありました。同じ需要があるんですね。
困ったのはトイレです。どうしても洗面所にあるトイレに行きたがるうっすのために扉は完全には閉めませんでした。酸素の効果が薄れるかもしれませんが。
酸素を送るモーター音が一日中、部屋の中に響いていました。でも呼吸が楽そうなうっすを見ていると気になりません。
私がソファで寝転んでテレビを見ていると股の間に入り込んで寝ることもあったうっす。でも、もうそうやって動き回ることは出来なくなっていました。
ある夜、うっすはトイレに辿り着く前におしっこを漏らしてしまいました。そんなの良かったんです。もう酸素室の中で毛布の上にしてもらってもいい。でも猫の習性がそれを許さないんですね。トイレに行きたいとどうか分からないけど、ときどき抱き抱えてトイレに連れて行ってました。
ほとんど食事はできなくなり、水分補給が出来るタイプのちゅ~るだけをなんとか口にしてくれた。元気だった頃に比べれば舐める程度ですが。
トイレから遠くなるけど、ひとりでは行けそうにない。だから酸素室をベッドルームに移動しました。いつでも見てあげられるように。モーター音など気にせずに同じ部屋で寝ていました。
もう酸素室に手を入れて撫でることしかできない。
でも撫でるとゴロゴロとのどを鳴らすんです。
「苦しいんでしょ。ゴロゴロ鳴かなくてもいいんだよ。」
私は泣きながらそう言ってました。
そう、その日は金曜日。翌日は会社は休みですが、通っていた精神科の受診がある。
それで撫でるのを止めて寝ました。
でも気になることがあった。
朝、起きてみると、先に起きていた嫁さんがうっすが亡くなっていることに気がつきました。
なんとなく分かっていたんです。それは臭い。母が入院して息を引き取った病院にもあった臭い。身体はかなりボロボロだったのでしょう。そういうものが合わさって死臭のようなにおいを感じ取っていました。
なつこ
あんなに辛かったのに会社の帰りについついペットショップによる癖がつきました。
それで気になる子がいたんです。どう考えても少し大きいマンチカン。
休日に嫁さんを誘ってショップに行ってその子を紹介した後、店長さんから話を聞きました。
耳が真菌症にかかって毛が少し剥げていたそうです。それで少し入院していたので大きくなった。2021年6月に「8週齢規制」が制定されて生後56日以下の猫や犬は販売禁止になりましたが、それ以前でしたので店頭には小さな子たちがいました。しかもその子にはとても安い値段が表示されていた。
嫁さんの膝の上で丸まっていたその子が小さく鳴きました。それで即決です。
タクシーで帰る時には簡易の段ボールのキャリアに入っていた猫。
嫁さんに「なつこ」と名付けたいと言いました。
なっちゃん、なつ。
なっちゃんは2024年秋で4歳になりました。うっちゃんのこともあって写真や動画は多く撮るようになりました。病院に検診に行くと4kgを越えているので恥ずかしいくらいに大きくなりました。
ただ、なつとの思い出はまだまとめるには早過ぎます。
むしろこの記事にまとめる日が来なければいい。
うっちゃんとの思い出も文章にするにはあまりにも多くの思い出を残してくれました。
精神疾患も治りましたが、うっちゃん、なつこを薬のようには言いたくない。
でも幸せを届けてくれたのは確かです。
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