
Appearances of Angela in Marvel Comics
Release date : Feb 19 2020 MARVEL COMICS | ![]() |
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SUMMARY :
THE WORLD OUTSIDE YOUR WINDOW!
Marvel’s acclaimed podcast series focusing on telling the stories of diverse creators and their unique perspectives becomes a one shot of brand new adventures! The X-Men find their place in the world after declaring a new nation! Killmonger strikes! Moon Girl and Devil Dino return!
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Sharing | Name |
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Part | “ASSEMBLE!” |
writer, artist, colorist | Luciano Vecchio |
ANGELA created by Todd McFarlane & Neil Gaiman |



記念号としていくつかの短編をアンサンブル:ensemble形式で掲載している。短編と言ったが、Angelaが登場している”ASSEMBLE!”については上記の1ページしかない。
蛇足だがCaptain Americaが映画「Avengers:End Game」で「Avengers! Assemble!」と言う。「Avengers! 集合だ!」映画ではまさしく何人ものヒーローが集結し、サノスの軍勢との闘いを繰り広げる。MCUシリーズではAvengersの結成からCivil Warというヒーロー同士の内戦があり、Infinity Warではサノスの指パッチンでヒーローの半分が消えてしまった。そのうえで最終決戦が訪れて「Avengers! Assemble!」と言うわけです。溜めてますよねw
さて脱線しましたが、上記のイラストではいろいろなヒーローが「集結」しているわけですが、登場しているのはみな、LGBTQ+というセクシュアルマイノリティ(性的少数者)になります。これが色濃く出ているのがMarvel’s Voices:Pride

VOICESの文字の色がLGBTQ+のカラーであるレインボー・フラッグになっていることが分かります。日本ではまだまだセクシュアルマイノリティ(性的少数者)の動きが少ないため、こういった配色を見て「LGBTQ+だ。」と感じる方も多くないかと思います。ただアメコミに触れてきた私はすぐに反応します。同時に「えぇ~」とも思うわけです。これはLGBTQ+に対する差別ではありません。しかしディズニー映画を観ていて思いませんか?
「ピーターパン」にはネバーランドに生活していて、大人になりたくないという願望を持つ子供たちがおり、彼らは「Lost Boys」と呼ばれてきました。それで2023年の映画「Peter Pan & Wendy」でもLost boysは登場するのですが、これが少女の2人組。この少女たちが「何故、迷い子は男の子じゃなきゃいけないの? 」といったセリフがあったと思います。
1904年に発表された戯曲『ピーター・パン:大人にならない少年』(Peter Pan; or, the Boy Who Wouldn’t Grow Up)」で分かるようにピーター・パンが少年であり、それを同じ思いである子供をLost boysとしたわけですが、120年も前では少女というのは母親の家事を手伝うものと考えられていて、ふらふらしているのは少年だという相場が成り立っていた時代です。逆に家の手伝いをせずにふらふら出来るからこそ夢を見て、大人にならずにいる。
今ではわざわざ「Lost kids」と言い換えています。いや、私は女の人が夢を見て子供の心を持ち続けることに異論を唱えているわけではありません。何も子供の物語を塗り替える必要があるのかと。確かに情緒教育の段階にある子供が見る物語で「女は家事、男は冒険。」という考えを刷り込むのは良くないのでしょう。まぁ、千歩くらい譲って「Lost kids」には納得します。
さて、わざわざこのような長文を書いたかというと「LGBTQ+を取り入れるのが定石」という流れ。それ自体がその色にアメコミやゲーム・キャラクターが塗り替えられることでむしろレインボー・フラッグに塗り潰されて多様性が無くなってしまうと感じています。
Angelaが幼い頃にAsgardから連れ去られ、Hevenに捕らわれている中でSarahという女性と出会い、愛にも似た友情を交わすようになる。でも、SarahとAngelaの関係はいくつものタイトルで描かれてきた中で、相手に依存せずに自立した関係だと。これがAngelaとSarahを同性愛者と括るほうが「多様性が無い見方」ではないかと思います。
Apr 25. 2025 追記
「リトル・マーメイドのアリエルは白人じゃなきゃダメ?」黒人俳優のハリー・ベイリーが起用されました。「白雪姫の肌は白いから白人しか演じちゃいけないの?」 “雪のように白い”設定の主人公を演じる女優にコロンビアとポーランドの血を引くレイチェル・ゼグラーを抜擢された。これらが大コケ。これを受けてか、『塔の上のラプンツェル』の実写版の製作は一時中断されている。
「女性(男性)はこうあるべきだ。」それによって苦しんでいる人がいるのは確かなこと。だが、世の中は多数決で動いている。例えば車椅子を使用している方は自動車通勤をされていることが多いと聞いている。「運賃を払えば電車に乗れる。」当然の権利だ。だが、彼らはそういう通勤時間の電車への乗車を控えている。権利を主張することよりも、満員の通勤電車で他人から白い目を向けられることを避けている。
「もっと理解してあげればいいじゃん。」でも、世の中はそういう考えの人ばかりではない。さて、お金を払って観に行く映画、ここで「何か悪い?」主演女優が主張しても、だったら「観に行かないわ。」となるわけ。Marvel Comicsの話から脱線したけど、「男性が男性を好きになることはある。」その事実は認識したとしても、それはその人たちの世界で完結できないかと思うわけ。
上記で紹介したイラストでは”Hulkling and Wiccan”、BillyとTeddyがキスをしている。外国の人にはキスは普通かもしれないが、日本人には恥ずかしい。それでこの二人がわざわざ人前でキスする必要があるかと。
日本の漫画では前述の理由からキスシーンは本当に少ない。恋愛漫画でも少女漫画でも。キスが非日常である日本ではキスシーンは漫画の「最終回」を飾るシーンになってしまう。じゃあ、日本の漫画は恋愛を描けないか。いやいや、思春期の頃から漫画を見てきて主人公の恋愛を描いた漫画はたくさん見てきた。描き方を工夫すればキスをさせなくても登場人物たちの恋愛を描けるはずだ。
AngelaはAl:Spawnを狩るハンターとして登場したが、やがて彼らは気持ちを通じるようになる。

上記のイラストは”SPAWN #97″でのAl:SpawnとAngelaのキスシーン。二人の物語では後にも先にもキスはこのシーンだけ。ただ、都市を取ったなと思うのがこれが2000年7月、25年前になる。その当時の感覚と現在の感覚は違っている。でも自分としてはこのシーンが好きだ。この描き方でも十分にAngelaがAl Simmonsのことを大事に思っていることが伝わってくる。
LGBTQ+を否定はしない。だが、「認めろ」「許容しろ」と迫られても納得できないものには納得できない。その女性が男性を愛せないのと同じく、私(男性)は男性を恋愛対象にはできない。どんなに頑張っても「男性が男性を好きになる気持ち」は一生、理解できない。
学生時代にスポーツの部活に入っていて、部員、同じ学年の仲間と交流し、「その人を好きだ」という気持ちはあった。だからこそ同じチームとして頑張れたのだと思う。でもそれは恋愛ではない。「キャプテン翼」で大空翼くんが岬太郎くんに抱く気持ちは恋愛ではない。世の中、その感情のほうが多数なのだ。
BillyとTeddyのキスシーンは好んで見たいものではない。場合によっては読み飛ばしたくもなる。その感情を変えろと言うのは無理。自然な感情からしかめっ面をしてしまうのを止められないのも事実。私にとってはそれが普通の感情だから。それを変えろと言うのはもはや「強要」と言ってもいい。
AngelaがQueen of Hevenに誘拐されて幽閉されたなかでSarahがいてくれたおかげで救われた。それ、レズビアンの感情かと言いたい。
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